言葉ではないもので 西城秀樹 書きおこし

西城秀樹さんについて語られた言葉を記録しています。

「ふるさとにありがとう〜広島〜西城秀樹」

 

【ふるさとにありがとう】第1回

2013年6月7日(金)20:00〜20:43 再放送6月8日(土)10:30〜11:13

NHK広島 ※中国ブロック(広島・岡山・山口・鳥取・島根)

 

ヒデキ:一回目は脳梗塞自体がまだわかってないですね。でも二回目はもうすごいショックで。自殺したいくらいですよね。足にも障害が出たし、やっぱり手にも出たし。それが、前とは僕は違うんだと。でも、待てよと。このままじゃもう生きる喜びがないから、何か楽しみを見つけようと。何が今できるだろう、今の僕には。そういう時に、できることから始めようと思ったのが今ですね。

あきらめちゃ駄目ですね。

だからこう、INGで、進行形で生きなきゃ。やっぱりこう、息が止まるまで、どう死に様を考えるかですね。今は。こういう生き方をしたいと。そこをだから捨てたくないんですよ、今。

生きてる限りは頑張るぞという。

 

自分に負けるのが凄く嫌いなんですよ。だから自分に負けたくないというのは……生きて人生、死んで人生というね。そういうのがあるとすれば、もう、それに尽きると思うんですよね。

で、やっぱり…考えるのは、俺はやっぱ、最期に息を引き取るまで、友達いっぱいいたなあ、どういう人生だったかなあ、幸せだったなあ。

そういう、多くは望まないけど、何かが残ってればね、多少、ひとつでもね。

幸せだなあと思います。

その幸せを最期に感じたいから頑張るんでしょうね。

 

〜ふるさと広島に帰って思うことは〜

 

ヒデキ:ひとことで言って帰って来てよかった。

帰るふるさとがあってよかったと言った方がいいかな。

 

聞き手 大木浩司アナウンサー

 

1974年の西城秀樹さん(広島市南区 黄金山にて)

 

 

 

吉田照美さんが語る西城秀樹さん

2018年(平成30年)12月22日(土)18時

西日本放送(他全国AM9局)【吉田照美の森羅万SHOW】

パーソナリティ 吉田照美さん アシスタント 熊江流唯さん

(現在のアシスタントは三代目犬塚ヒカリさん)

 

2018年の歌の大賞について

吉田照美:歌?歌は…

熊江流唯:やっぱ安室奈美恵さんですよね!

吉:安室奈美恵さんが引退という。9月16日沖縄ライブでね。

熊:衝撃ですよね。

吉:あと、僕らの世代では昭和の大スター西城秀樹さん。もっと評価されてもよかったんじゃないかと思いますね。

あの…あんだけの…エンターテイメントの…やっぱり歌手っていうことで言えば、西城秀樹さんは最右翼にいたんだなってことが…つくづくね、亡くなってみて、もっともっと評価するべきだったんじゃないかなっていう気がしますけどね。

熊:そうですよね。

吉:僕も個人的にはラジオでゲストに来ていただくことがあって。まあ、それこそ一番、西城秀樹さんのリアルタイムで凄い時期っていうのをご一緒させていただいた時期があってね。

結構冗談も、サービス精神もある方で。ラジオの番組を盛り上げることに凄いありがたい方で。気を遣ってリップサービスもする方なんですけど。

ちょい前にね、イオンか何かのイベント*1で、そこに来ていただくっていう時に、二度目の病気が…あの、一回目は大したことなかったんですよね。それだからそんなもんかなと思ってて、僕もそのつもりでいたのが、控え室に行った時に、挨拶にした時にね、前の秀樹さんと違ってることに愕然として。それで、その状況で、歌は前と同じに歌われたっていう……。凄いな!と思ってね!

熊:それはもう凄いですね、プロですね。

吉:うん。僕は、個人的にはもう、西城秀樹さんに大賞を歌では差し上げたい。と思いましたけどね。

熊:ああ……

 

www.rbbtoday.com

 

イオンは、4月11~13日の3日間、日本最大級のアクティブシニア向けの展示会、「GRAND GENERATION’S COLLECTION 2014」を千葉市の幕張メッセで開催する。オープニングイベントには、歌手の西城秀樹やCMキャラクターを務めるタレントの高田純次らが登場した。

(中略)イベントの初日には西城がMCの吉田照美とともに西城さんの元気の秘訣を語る場面も見られた。13日で59歳の誕生日を迎える西城さんは、バースデーケーキのサプライズ登場に喜び、「ヒデキカンレキ(還暦)!!」とコメントした。西城は2003年に脳梗塞を発症、回復したが2011年12月に再発、リハビリ生活は歌で克服した。また2013年11月には両目の手術を受けた。「生涯歌手」を宣言し、歌手活動に加え、ひとりの患者として、脳梗塞の体験談などを伝える取り組みを続けている。

*1:2014年(平成26年)イオン「GRAND GENERATION’S COLLECTION 2014」イオンモール幕張副都心

桑田佳祐さんが語る西城秀樹さん

2023年(令和5年)2月4日(土)23時〜23時55分

TOKYO FM【桑田佳祐のやさしい夜遊び】

桑田佳祐のやさしい夜遊び - TOKYO FM 80.0MHz

 

桑田佳祐:(西城秀樹「情熱の嵐」オンエアの後)

いやあ…あの…分かんなかったんだけど、昔は。

だけど、素晴らしいボーカリストでね。

この人は何か、ロック…ロックっていうか、バンドを作っていて、僕らと一緒に同じ時期にデビューしたとしたら勝てなかっただろうし、この人に対してコンプレックスを感じたんだろうなって、今聴いてても思いますけど…。

西城秀樹さん… ♫ ハウスバーモントカレーだよ ♪って言うからね!

ええ、私、バーモントカレーでずっと育ったんですよ。

うちのおふくろ、林檎と蜂蜜、なぜかうちのおふくろ、よしゃあいいのに醤油とかウスターソースとか入れやがって、入れなくていいんだよ今思うと(笑)!

 

 

realsound.jp

2018年(平成30年)5月19日(土) TOKYO FM【桑田佳祐のやさしい夜遊び】

桑:本当に実直で、誰に対してもフランク。同い年だけど、兄貴みたいでね。ライブの楽屋で1時間くらい、初めてじっくりお話をさせていただいたんだけど、打ち解けられるように気配りして話してくださって。大好きで、またいつかご一緒したかった。日本の音楽界を大きく作り変えた方だと思う。本当にありがとうございました。

 

 

1995年(平成7年)8月5日・8月6日

サザンオールスターズ「スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カルフォルニア」DVD裏面。

西城秀樹さんはコンサートのオープニングアクトに覆面で登場。8万人のサザンファンの前で「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を歌いました。

 

桑田佳祐さん、西城秀樹さんを語って下さってありがとうございました。

 

 

 

【ありがとよ!】

(「のどもと過ぎれば…  西城秀樹」産経新聞東京版夕刊1995年(平成5年)8月19日 一部抜粋)

八月五日、午後七時。ギンギラの星条旗ファッションでステージに立ったぼくは、観客の前で『ヤングマン』を歌った。

遠くのスタンドの人も、アリーナの人も、「Y、M、C、A」の振りをしっかりやってくれていた。八万の二倍、十六万の手が波のように空の下で揺れていた。

『ヤングマン』を歌った後、客席でサザンのコンサートを楽しんだ。桑田さんも、メンバーも、ファンも本当にステキだった。

「きょうのために全国から来てくれたみんな、ありがとさん!!」。桑田さんは三時間のコンサートの間に、百回以上、「ありがとよ」を客席に向けて叫んでいた。

この「ありがとよ」は、決してサービスコメントではない。デビュー以来十七年間、応援してくれたファンへの心からの「ありがとう」だと思った。ぼくも何だか、ジーンとしてきた。

アンコールのラスト『YA YA(あの時代を忘れない)』が終わると、打ち上げ花火が次々に上がって、横浜の空を美しく染めていった。

ぼくはそのとき思わず、大阪球場のファイナルコンサート(昭和五十八年)での花火と重ねていた。心がタイムマシンのように行ったり来たりした。

もう一度、野外コンサートをやりたい!と思った夏。温かい気持ちにふれた夏。またひとつ忘れられなくなりそうな夏…。

桑田さん、「ありがとよ」!!

 

 

 

「西城秀樹 オン・ステージ」質問コーナー

ヒデキ:さあ!ここで質問コーナに行きたいと思います。はい、どうぞ、はい何ですか、はい、前に来て下さい。

ファン1:ヒデキね!あのね、えっと、今の新人歌手の中で好きな人いるって言うけどほんとですか!?

ヒデキ:え?

ファン1:今のね、新人歌手の中で好きな人がいるってほんとですか!?

ヒデキ:今の新人歌手の中で好きな人がいるかということですね。

(歌う) ♪ 僕は今の新人歌手の中~には好きな人な~んていませんよ ♪

観客:キャー!(拍手)

ヒデキ:♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

このラララのところだけ皆さんと一緒に歌いましょうね、はい、じゃ次の質問にいってみましょう。はい~。

ファン2:ヒデキ握手させて!!

ヒデキ:握手の質問ですか?はい。 

観客:キャー!

ヒデキ:はい、そういうあれでなくて本当に質問。はい何ですか。

ファン3:いつまで歌手を続けますか。

ヒデキ:いつまで歌手を続けるか、続けるかということですね。

♪ 僕は歌手を歌うのはこの人生の終わる、尽きるまで歌いますよ ♪

♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

はい次行ってみようかー、はい。

ファン4:ヒデキね!!九州には来ないの!?!?

ヒデキ:九州ですか。

♪ 九州にはいつか~行くでしょう。そのうちきっと行きますよ ♪

♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

はーい行ってみましょうか。

はい他にいってみましょうはいはいはいはい何ですか。

ファン5:好きな女の人のタイプ。

ヒデキ:好きな女の人のタイプね。はい。

♪ 僕の好きな女の子のタイプは~明るい子~が好きですよ ♪

はい♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

はいみんなで!

♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

♪ ラーララーララーララ ラーララーララー

 

 

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blowup-forever.com

 

松崎しげるさんが語る西城秀樹



【ふたりのビッグショー 西城秀樹・松崎しげる~今も青春 ロカビリー&GS~】

1994年2月28日 NHK総合(於 NHKホール)

 

 

 



松崎「僕たちの写真を見ていただきました。笑いの渦でした。なぜか私のあの髭の写真(笑)。

そして、こちらをご覧ください。ヒデキ4歳の時の写真です。この頃からルックスがよく、きっとお姉さん達にもキャーキャー言われていた坊やなんでしょうね。

ただ、西城秀樹と言えば、『やめろと言われても♪』(会場から『ヒデキ!』)と言って踊りまくり、『ロ~ラ~♬』と歌い上げる。そんなイメージの強い歌手です。

でも、僕の知っているヒデキは非常に音楽好きな奴です。そして、自分はそれ程飲まないのに、私みたいな酔っぱらいの相手を最後までしてくれます。優しくてシャイな男です。まあそのシャイが曲者で…いまだ…独身です(笑)。私は二度も離婚しました(爆笑)。

でもこのヒデキ、だてに長年アイドルをやっているわけではございません。

そう、周囲が作り上げたワイルドなヒデキのイメージを上手に保ち、反面、ソフトにバラードを歌い上げる。

ヒデキと言うのは、そういう器の大きい奴です。

今日はそんなヒデキのマルチな魅力をたっぷりと楽しんで頂きたいと思っています。」

 

 

ヒデキ「さあ、ここに一枚の写真がございます。まるでアイドル歌手のような顔でございますけど、これは18歳の時の松崎しげるさんなんです。まあ、こういう髪型をしているということは、グループでデビューしたんですって。いわゆるロックグループ。人間慣れないことをするもんじゃありませんね。そのロックグループ、全然売れませんでした(笑)。

しかし皆さんご存じの通り、松崎しげるさんというのは日本を代表する素晴らしい実力派の歌手です。その実力派というのが実は足を引っ張ってしまったんですね。その頃というのは昭和40年代の…後半ですか。どうも日本というのはスケールの大きい曲はなかなか流行らないという風潮があったんですね。そこで松崎さんにも、なかなかそんなナンバー、歌を与えられなかったんじゃないかと思います。

でも彼はめげずに、決して諦めませんでした。そして素敵な、彼にピッタリ似合う曲に出会えました。

今日はスペシャルバージョンでお届けします。『愛のメモリー』」

 

 

 

歌謡ポップスチャンネル 2023年8月13日放送

曲目 YOUNGMAN(Y.M.C.A.)

           監獄ロック

   ハート・ブレイク・ホテル

   ルイジアナ・ママ

   薔薇の鎖

   黄色い麦わら帽子

   ラブ・ミー・テンダー

   あの時君は若かった

   君だけに愛を

   情熱の嵐

   傷だらけのローラ

   激しい恋

   ブルースカイ ブルー

           グッド・バイ・マイ・ラブ

   YAH YAH YAH

 



ビッグショー&ふたりのビッグショー – BLOW UP FOREVER

 

 

 

松崎さん、秀樹さん、素敵なショーをありがとうございました。

 

神野美伽さんが語る西城秀樹さん

2023年2月20日 テレビ朝日 徹子の部屋 ゲスト神野美伽さん

『歌手歴40年…不思議な縁で』

デビュー前のお話。

神野さんをスカウトされた芸映鈴木元専務とのエピソード、岩崎宏美さんに憧れていたというお話に続いて西城秀樹さんとのエピソード。

 

西城秀樹さんと神野美伽さん(当時12歳)の写真が映る。

 

徹子 デビュー前には事務所のお手伝いもなさったり?

神野 (写真を見ながら)こーんな!子供なのに。秀樹さんは当時…

徹子 あ!いいわね~。(嬉しそう)

神野 そう、かっこいい!とにかく何をしてもかっこいい秀樹さんで、球場コンサートとかホールのコンサートの時にはお手伝いに行くんです。

徹子 うん。

神野 例えばグッズを販売したり、楽屋でチョロチョロして秀樹さんにお弁当を持っていったり。そういうことをして。スーパースターの大変さ…。

徹子 うん。

神野 …というものを目の当たりに。

徹子 うん。そぅ…。

神野 いろんなことを見せて下さったのが秀樹さんだったと思います。

徹子 残念ですよね…秀樹さんね。

神野 本当に…信じられないことですけれど…。

素晴らしいボーカリストだったと思います!

徹子 ほんとね!ほんとほんと。背が高くてね、かっこよかった。

神野 あんな声を持った方ってそういらっしゃらないと思う!

徹子 ほんとね!

神野 なのでこの頃秀樹さんの一番最後のシングルになりましたけど、『めぐり逢い』という歌を歌ったりしています。

徹子 あ!そうですか!そうですか。

『めぐり逢い』流れる

神野 色んな思いがあります、秀樹さんには。(微笑む神野さん)

 

黒柳徹子さん、神野美伽さん、秀樹さんのお話をありがとうございました。

 

 

マツコの知らない世界 1979年レコード大賞余話

 

2020年(令和2年)4月28日(火)

20:57〜22:00

TBS 

【マツコの知らない世界】

 特集「昭和ポップスの世界」

 

番組ホームページ

https://www.tbs.co.jp/matsuko-sekai/

番組感想メール宛先

https://cgi.tbs.co.jp/ppshw/pc/contact/4945/enquete.do

【MC】

マツコ・デラックス

【ゲスト】

高橋昌太郎

さにー

お二方について紹介された記事がありました。

https://tetu-hop.com/9026

 

【スペシャルゲスト】

ジュディ・オング

 

ジュディ・オングさんは「魅せられて」を披露。

 

 

 

ジュディさんが1979年(昭和54年)レコード大賞受賞時、西城秀樹さんにエスコートされたエピソードをお話しして下さいました。

 

ジュディ「アナウンスされた時に、わあっと思った時、フラッとしちゃったのよね。歩くのが。そしたらふっ…とこう倒れそうになった私を、助けてくれるというか、エスコートしてくれるひとがいて。ふっと見たら西城秀樹」

 

さにー「うわあ〜!!!」

 

マツコ「なんだそれは〜!!」

 

高橋昌太郎「かっこいい〜!」

 

ジュディ「(一部聞き取れず)おめでとうって言って、階段登るところまでエスコートしてくれて。で、後日『あの時エスコートありがとう』と言ったら『僕は、自分が獲れなかったらジュディをエスコートするって決めてたんだ』って。そういう風に言った。いい男ね」

 

 

マツコ「ちょっと気があったんじゃない〜(笑)」

 

ジュディ「本当にナイスガイ」

 

 

 

ジュディ・オングさんをエスコートする西城秀樹さん。

 


 

 

 

 

西城秀樹さんは2月21日発売「YOUNGMAN

Y.M.C.A. 」がビッグヒットするものの

外国曲は賞に当たらずという規定により候補曲にはならず

9月5日発売「勇気があれば」でノミネート。

 

 

この番組は、twitterでトレンド入りしました。

(まとめ主様、感謝です)

https://togetter.com/li/1500454

 

 

ジュディ・オングさん、素敵なエピソード、そして今なお魅惑的な歌声をありがとうございました。これからもどうかお元気で。

 

1979年レコード大賞作品

ジュディ・オング「魅せられて」レコード大賞金賞作品

www.youtube.com

 

 

西城秀樹「勇気があれば」

www.youtube.com

 

(お借りした動画は、共にレコ大映像ではありません)

 

 

 

時々、「ふっと…」不意打ちの様に西城秀樹さんが地上波に現れ、沢山の人を驚かせ

こんな素敵な人がかつて日本にいたんだと、ヒデキさんの仲間を通じて教えてくれる。

 

西城秀樹さん

見てますか?

 

エスコートのエピソード

覚えていますか?

 

そんなことあったかなあ

もう、忘れちゃったなあ

ジュディ、元気そうで嬉しいなあ

って

笑うかなあ…

 

TVガイド1979年12月7日(893号)表紙

 

 

2020年6月7日 改 2023年2月26日 再度改