言葉ではないもので 西城秀樹 書きおこし

西城秀樹さんについて語られた言葉を記録しています。

西城秀樹デビュー記念日によせて「徹子の部屋」書き起こし①

 

テレビ朝日「徹子の部屋」 

1982年(昭和57年) 3月9日

 

黒柳徹子さん(以下徹子)

「今日が、ちょうどデビューなさって10年目だそうでございます。

そして、この10年間、ほんとに!力一杯歌っていらしたんです。

新御三家という風に呼ばれていらしてから、もう10年ということでございますけれど、

今年は冒険心100%でいらっしゃりたいそうでございまして。

漏れ承るところによりますと、プロマイドの売れ行き総合では第1位ということだそうでございます。

西城秀樹さんです」

 

西城秀樹さん(以下ヒデキ)

「どうもこんにちは(笑)お久しぶりです」

徹子「お久しぶりでございますというのも変ですが(笑)でも、お元気そうねえ~」

ヒデキ「そうですね。割とね、この頃食べ物とかね。色んなものに気を使っているんですよ。だから、かなり調子はいいですよ。身体、体調は」

徹子「ああそう~。随分色んな若い歌手の方も俳優の方も出てらしてね。なんていうんですか、プロマイド売り上げベストテンとかよくあるじゃありません?総合すると1位おなりになられて」

 

ヒデキ「こないだ僕も拝見してね。ああ、頑張ったな! なんてね(笑)」

 

徹子「プロマイド屋さんの発表で」

 

ヒデキ「はい」

 

徹子「そうですか。

でも、あなたが今目指してらっしゃるのは、50歳になった時に、タキシードが似合う人がいいんですって?」

ヒデキ「そうですね。やっぱり、こうなんて言うんですかね。自分が

4050になって本当にタキシードが似合う男性っていうのにはなりたいですね。

それでタキシードは着てるけども、ちょっと袖捲りをすると、ロックも歌えるよ?っていうようなね(笑)。

そういうなんか、粋な、小粋なね、アーティストにはなりたいとは思っていますね」

 

徹子「でもやっぱり、どんどんどんどん音楽も変わってくるし、色んなことが変わってきてるでしょ?

そういう中でやっぱり10年間歌ってらっしゃる。そして、いつも人気があるっていうのは大変なことだっていう風にわたくしも思うんだけれど

 

ヒデキ「はい」

 

徹子「やっぱりそういうことは随分

 

ヒデキ「そうですね。

あのやっぱりそれだけ何ていうんですかね。

周りの人達にすごく恵まれたことも勿論、ありますし。

それと同時になんていうのかな〝大きな愛〟っていうんですかね。

そういうもので『西城秀樹』っていうひとりの人間をこう見守ってくれているっていうのが、僕は10年間の中で感じたんですけどね」

 

徹子「ああー

 

ヒデキ「特に、応援してくださる皆さん、或いはスタッフの方々っていうのは、そういった部分で、僕がなんか線路から脱線すると、『違うぞこっちだぞ』っていう風にちゃんと正しいことを、教えて頂いたっていうのが1番良かったみたいですね。

厳しかった事もありますけども、自分で反抗しながらも、色んなことがありましたけどその中でやっぱりこう10年というのを区切りにしてみると『あ、間違ってなかったな。自分が歩んで来た道は』と今は思いますね。

だからこれからの10年を、またあの、本当に、間違っても、すぐ、なんかこう修正できるようなね、そういう自分を作って行きたいっていうんですかね。

 

よりやっぱり良い10年にするには、これからの人と人とのやっぱり対話も勿論だろうし、人間という、友達というね。自分の素晴らしい、友、財産というものを自分で広げて行きたいなと思っています」

徹子「うん。それは、あなたが魅力がおありになるから。

それからあなたが努力してらっしゃるっていうこともあると思うけども

やっぱりこの頃、若い人は、人間ていうのは、人に対してそんなに愛を持っているもんじゃないとかね、

世の中っていうのはもっと冷たいものだとかって思っていらっしゃる方も多いと思うの

 

ヒデキ「うん」

 

徹子「だけどそういう点、あなたは、世の中の人とか、人間を信じていらっしゃる?」

ヒデキ「僕は、信じてますね」

 

徹子「そうーー

 

ヒデキ「あの、悪い人ばっかりじゃないと思うんですよね」

 

徹子「うん」

 

ヒデキ「だから、確かに、好き嫌いっていうのはあると思うんですよね。人によって。

でも、僕も結局、好きだけどああいうところは嫌いだって人に言われていると思うんですよね。

或いは、思われて当然なんですよね。

だから、そういう部分の、良いところはやっぱり見習いたいし、で、悪いところは自分にこう振り返って、そこを、人のふり見て我がふり直せ、みたいなもんでね。あの勉強していきたいし。

そういう風な気持ちもある方が、自分がなんかすごくこう、いつも何て言うんですかね、フレッシュにいられるみたいなところはありますね。

だから、そう思うようにやっぱり自分で努力しているのかもしれませんね」

徹子「ええーまあーーそうでしょうねえ。

そういうこともご自分の中で」

 

ヒデキ「ええ」

 

徹子「でもわたくし、さっき新御三家ってご紹介してね」

 

ヒデキ「はい!」

 

徹子「皆さんご存知なのは、あなたと、郷ひろみさん、野口五郎さん。

でもはじめに全然違う方と3人で?」

 

ヒデキ「最初はですね、伊丹幸雄くんとそれから田頭信幸くんというのがいたんですよね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「それでウエスタンカーニバル、まだ日劇がある時に、『新御三家』っていうタイトルで3人で、やっていたんですよ。コンサート」

 

徹子「あら」

 

ヒデキ「ええ。それで、またしばらく経つと、幸雄くんは今(オレたち)ひょうきん族っていうので頑張ってらっしゃいますし」

 

徹子「ああ」

 

ヒデキ「あの、田頭さんは、芸能界やってないみたいなんですけどもね。

しばらくたったら、郷くんが出て来まして。で、あの、野口くんは僕より一年先輩ですから。所謂なんていうんですかね。そこで新たに新御三家っていうのが作られたんですね」

 

徹子「ああ、そう~。やっぱり御三家の三人をライバル的っていう風にお思いになる?」

 

ヒデキ「そうですね。良い意味でライバルだと思いますし、励まし合いもできますしね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「そういう意味じゃ、なんかあの、良い友達っていうんですかね?同級生っていうんですかね、同期生っていうそういう感じはしますね」

 

徹子「はあー。

デビューの1作目っていうのは売れなかったんですって?」

ヒデキ「ああ、うーん、あんまりよくなかったですね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「でも、あの『恋する季節』なんですけどもね。

サイン会なんかあっても、こう例えばあの、全然(周りは自分を)知らないわけですからね。

『すみません。あの、新人の西城秀樹です、恋する季節でデビューしました!』って言うと、人がこう前の方をよぎって『どうもさようなら』っていう感じで(笑)」

 

徹子「ああ!そうー。

でサイン会っていうのは、買ってくださる方にサインをするっていう」

 

ヒデキ「そうです」

 

徹子「ああ~、だから買ってくださらなきゃ、あなたはサインをするチャンスもないわけ?」

 

ヒデキ「そうですね」

 

徹子「で、何作目からあなたは大変な爆発的(人気)?」

 

ヒデキ「恋する季節、恋の約束、青春に賭けよう、チャンスは一度…5作目ですね。

情熱の嵐という曲で初めてあの所謂ベストテンの中に入ってきたんです」

 

徹子「ああそう~。で、その、1作目でございますけど、わたくしは今まで1回もそれをお聴きするチャンスがなかったわけでございますので」

 

ヒデキ「ああ~(笑)」

 

徹子「皆さんはもう、ファンの方はご存知と思うけれど。

今これだけ歌がお上手な西城さんで。これだけ人気のある方のその1作目の」

 

ヒデキ「ぐっ(笑)」

 

徹子「恋する季節っていうのはどういうのかってのを。わざわざ」

 

ヒデキ「(笑)ははっ、17歳の時ですからね」

 

徹子「え、いくつの時?」

 

ヒデキ「だからレコディーングした時は16ですよね(笑)」

 

徹子「(笑)その西城さん、だから10年前のね」

 

ヒデキ「そうですね」

 

徹子「今日は記念でございますね!

聴かせて頂きたいと思ってちょっと、レコードをね」

 

ヒデキ「あははっ、声がだいぶん違うでしょうね~(笑)」

 

西城秀樹『恋する季節』(1972年3月25日発売)

https://youtu.be/iMdwVTdZuoc?si=H46ABFMQ-mGf1WxI

 

ヒデキ「あっはは恥ずかしいですね、やっぱりね~すごく

 

徹子「でも、恥ずかしいって今おっしゃったけど16歳で!!随~分~しっかりした、声ね!!」

 

ヒデキ「いやいや~この時ね、学生服僕ね確か着て、歌ったんですよね、レコーディングの時」

 

徹子「へえ~でもほんとに、ちょっとこうセクシーって皆さんおっしゃっるけど、ちょっとしゃがれっぽい声のね、力強い声で。今の声と変わってる?」

 

ヒデキ「やっぱりちょっと変わってるみたいですね。今のが太くなったみたいです。声が」

 

徹子「ああそうーでも何か16歳とは思えない、何かしっかりした、お声だけだとね」

 

ヒデキ「いやいや、最初はもうびっくりしましたよね。スタジオ入っても。

はあ~、これが東京のスタジオなんだ~なんていうね。見るもの聞くもの全て新しいから」

 

徹子「ああそう~。そして、ご自分では色々そういうエレキとか色んなバンドでね、同じ年代の方とはやってらしたと思うんだけれど」

 

ヒデキ「ええ」

 

徹子「ああいうスタジオ入って。色々な方たちが、ああいうな大きなバンドっていうんですか?そういう時はやっぱり怖かったですか?」

 

ヒデキ「怖かったっていうかすごい近代的なんでね」

 

徹子「ははは」

 

ヒデキ「はぁ~広島とは違うという(笑)そういうイメージが強かったですね」

 

徹「はあ~そうねえ~!きっと」

 

ヒデキ「わりと素朴に育った人だったから(笑)あんな機械を見たことはなかったですね」

 

徹「はあー、そう!いろんな機械たくさん。今はもっと凄いもんね!今驚かないでしょ、だけど」

 

ヒデキ「まあ、あまり驚かないですけどね。でも、当時はやっぱりびっくりしましたね(笑)」

 

西城秀樹さんは

1972年(昭和47年)325日にデビュー。

2020年(令和2年)の今日、デビュー49年目を迎えました。

デビュー曲「恋する季節」キャンペーン中の西城秀樹さん。

(東京新宿区高田馬場駅前)

 

 

秀樹さん、西城秀樹さんになってくれてありがとう。

 

 

2020325日AmebaBlogに掲載(現在は閉鎖)

2024年3月25日再掲

湯川れい子さんが綴る西城秀樹さん(現代用語の基礎知識 2019・西城秀樹写真集HIDEKIFOREVERblue)

湯川れい子さん

2019年(令和元年)6月23日 歌謡ポップスチャンネル 西城秀樹特集第三弾「メモリアル・ヒデキ」より

現代用語の基礎知識2019年版(自由国民社 2018年11月8日)

【趣味・余暇】ポピュラー音楽 

執筆 湯川れい子 音楽評論家 ゆかわ・れいこ●東京都生まれ。鴎友学園女子高卒。ジャズ評論家としてデビュー。著書『熱狂の仕掛け人』『湯川れい子のロック50年』、共著『ジャズをたのしむ本』『音楽力』ほか。

近年のポピュラー音楽

➤西城秀樹

1972年デビュー、「激しい恋」「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」など数々の大ヒット曲でロック歌謡のジャンルを確立した先駆者的アイドル。野口五郎、郷ひろみとともに「新御三家」としてポップス歌手全盛の一時代を築き、「ヒデキ」の愛称で広く親しまれた。74年には大規模な野外コンサートを大阪球場(当時)で開催、大成功を収めるなど、コンサートスタイルにおいても、常に日本の音楽界を牽引した。広島出身で、アマチュア時代バンド演奏に行った山口・岩国基地で先進の音楽に触れた体験が音楽的素地の一つでもあり、ロック色あるれるエネルギッシュにシャウトする歌唱スタイルは唯一無二といえる。2003年に脳梗塞を発症し、以降はリハビリを続けながら音楽活動を行ってきたが、18年5月16日、急性心不全のため63歳で死去、大阪球場をかたどった祭壇に囲まれ、多くの友人、関係者、ファンに見送られ生涯を閉じた。

 

※この年の「近年のポピュラー音楽」に掲載された話題

安室奈美恵引退/ケンドリック・ラマー/西城秀樹/BTS(防弾少年団)/フェス/EDM /ボーカロイド/ジャニーズ

 

Twitter 2019年2月13日

根強くリクエストのハガキや手紙に、いかに秀樹さんから生きる喜びや勇気を貰ったか、秀樹さんのキャリアへの賞賛を書いて、NHKのラジオを始め、音楽番組をやっているテレビ局などに小まめに出して下さい。見てくれる人、聞いてくれる人がいるという確証が、その人を取り上げる唯一の理由になります。

 

HIDEKIFOREVERblue(集英社インターナショナル 2019年9月30日)

日本のアイドル歌謡に、洋楽を持ち込み広めた先駆者。

英語の発音も驚くほどきれいだった

「…今振り返ってみても、彼は日本のアイドル歌謡に洋楽を持ち込んで、その素晴らしさを広めた第一人者だと思います。先駆者といってもいい。どうしても〝アイドル〟という枠にくくられていましたけど、なさってきたことは本当に革命的なこと。楽曲のカッコよさだけでなく、ロック音楽の詞が持つ、社会的なメッセージなども彼は理解して歌っていらしたと思います。

 香港や中国などアジアに活躍の場が広がっていきましたけど、それも小さいころからの、しっかりとした洋楽体験がベースとなっていたからこそでしょう。香港では『ストレンジャーズ・イン・ザ・ナイト』が47週間も、1位にチャートインしていましたが、フランク・シナトラ版がゆったりしたテンポなのに対して、軽快なテンポと独自のリズムで心をとらえる歌でしたね。

 残念なのは、生きておられるうちに、その革新的だった面が、もっと評価されてもよかったということ。日本は音楽のフィールドが成熟していません。その点では私自身も、もっと動くべきだったと後悔の念があります。普通なら、アイドルが洋楽ものを歌った時点で、なかなか受け入れられないし、ファンが離れてしまうことが多いのに、彼の高い音楽性を理解して、何十年と支えてくださったファンの方々こそ、西城秀樹の魅力をいちばんわかってくださっていたのでしょう。

 でもだからこそ、秀樹さんの業績や、歌の素晴らしさを伝えるのはこれからです。エルビスのコンサートやファンの集いが、死後41年の今も、毎年、行われているように、彼の魅力を何十年も伝えるためには、ファンの皆さんの結束が必要です。

 病気をなさってからもファンの方々は、応援し続けてきましたよね。アイドルが同時代を共に生き、喜び、苦しむ存在であるならば、彼はまさに生きる意味を伝えて、遺していってくれた、そんな存在だったと思っています。」

(後半部分を抜粋)

 

湯川れい子先生、秀樹さんを綴り、語ってくださり、また、秀樹ファンに対しても、愛溢れるメッセージをありがとうございます。

森口博子さんが語る西城秀樹さん

2023年(令和5年)6月16日(金)13時~15時51分

bayfm78【KISS&SMILE】

KISS & SMILE | bayfm 78.0MHz ベイエフエム

MC 森口博子さん

公式SNS @KISS78MHz #キススマ

 

テーマ ❝ 日本人アーティストによる洋楽カバーナンバー ❞

 

森口博子さん:「西城秀樹さん『抱きしめてジルバ』。

これですね…やばいですよ。秀樹さん、表現力も歌唱力も申し分ない方じゃないですか。

サックスのイントロから入るんですね。オリジナルは1984年リリースのGeorgeMichael(Wham!の『CarelessWhisper』)なんですけども、サックスからイントロが入る時に、なんかこう、秀樹さんだからこその、サックスの音に負けない歌い出し!もうね、Aメロの『映画の中♪』っていうフレーズがあるんですけど、『中♪』の、この ❝か❞ の置き方とか、わかる?!(笑) 切なくて!!もうホントに!(笑)『あ~、目の前から自分の好きな女性がいなくなってしまった』……『なか~♬』この切なさとか。あと、サビに行く 『抱き寄せて ♪ 』のハスキーボイスとか…。ホントにいろんな感情が凝縮されてて。

表現力…アイドルの大スターでこんなに表現できる方いないんじゃない!?

一応、アイドルスターなんだけど、もう、ボーカリストですよね!。外国の方が聴いても納得いくような歌唱力は唯一無二だと思いました。

 

私はね、(秀樹さんには)本当に妹のように可愛がっていただいて、レギュラー番組*1でもご一緒させていただきましたけども…。歌唱力も、魅せ方も、オーラも完璧じゃないですか。プロデュース能力が素晴らしいんですよ。

以前、早見優さんと秀樹さんと私とコンサートをやらせていただいた時*2も、作家さんとか演出家の方が入ってっていうことではなくて、まず3人で会って、『何歌う?』から始まって、ちゃんと私達の意見とかも聴いて下さって。

『これも歌いたいです』『じゃ、こういうのも合うんじゃない』って言って。

曲順とか、いろいろ秀樹さんが全部プランを立てて。実際リハーサル始まったら、『博子ちゃんさ、その曲さ、リズム刻むよりもっとルバートに、ほんと語る感じ、もう、しゃべる感じでやってみたら?』っていう風にアドバイスを下さって。

最高に俯瞰で見ることができる…素晴らしい秀樹さんだったな!!

 

この曲はアイドルでありながら歌うことができるのは秀樹さんしかいない。

っていう風に、私が皆さんに推したい曲です。もちろんね、皆さんご存じかと思いますが、改めて秀樹さんの表現力に注目しながら聴いていただきたいと思います。

西城秀樹『抱きしめてジルバ』」

 

抱きしめてジルバ-Careless Whisper-

抱きしめてジルバ-Careless Whisper-

  • 西城 秀樹
  • 歌謡曲
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

blowup-forever.com

 

森口さん、西城秀樹さんを語って下さってありがとうございました。

 

*1:NHK 1998年4月(平成10年)~2002年3月1999年3月『青春のポップス』※森口博子さんの出演は1999年3月まで

*2:2008年(平成21年)5月30日『思い出の青春ポップス』中野サンプラザホール

西城秀樹・河村隆一対談

 

河村隆一対談集「PREMIUM CROSS TALK FILE」

(シンコーミュージック/2003年/対談連載雑誌「ミュージックプレス」)

『西城秀樹×河村隆一 カッコいい年の取り方』より、河村隆一さんと西城秀樹さんの出会いと、「時のきざはし」についての対談部分を抜粋

(対談はミュージックプレス2001年3月発売号掲載)

 

河村「秀樹さんとのおつきあいはもう3年ほどになります。最初のきっかけは紅白歌合戦の広い男楽屋。出演者のみなさんとその日の新聞の出場者リストを見ながら、『この子可愛いよね』なんてくだらない話してたら、秀樹さんがうしろから気さくに入ってこられたんですよ」

 

西城「そうそう。その楽屋っていうのが、なんとなく演歌組、ニューミュージック組、ポップス組って分かれてるんですよ。俺は隆一くんたちの集まりが気になってて、耳をダンボにして隆一クンたちの話を聞いてた。で、女性陣の話になったとき、『それはオマエ違うだろう』って輪に入っていったんですよ。そこから一気に盛り上がったね」

 

河村「そうですね。また、家も近いんですよ。道がすいてれば10分くらいの距離で」

 

西城「それで、よく一緒に食事もするようになったんだよね。おかしいのは、隆一クンも俺も、安くてうまいところが好きで、お互い競い合うようにそういう店を探してきては連れていくという。以前彼が連れてってくれたステーキ屋には『ヤングマンステーキ』っていうのがあって、冗談だろうって思ったけど(笑)。腹いっぱい食べて2千円くだいだったよね」

 

河村「もちろん秀樹さんには、ちゃんとかまえて行くような高いところにも連れて行っていただいているんですが、やっぱりときには半ズボンとビーサンていう裸足の感覚で行ける場所も必要なんですよ。気持ちがすごく解放されるし」

 

西城「心をオープンにして店の人と話ができたりすると、そこでまた何かを感じることもあるし、周りのことも気にならなくなるんですよ。とくに隆一クンは詞を書くから、そういうところで感じたことがエッセンスになったりする。まぁステーキから始まって、ざっくばらんなつき合いが始まったよね」

 

河村「僕にしてみたら、秀樹さんというのはテレビでずっと見てきたキラキラした存在だったわけで、その人が僕なんかのところに降りてきて普通に話をしてくれるっていうのがまず驚きだったんですよね。秀樹さんのようなタイプのシンガーで、長く歴史を刻めてる人って、ホントいないと思うし」

 

西城「でも、初めのうちは仕事のしの字もなく、ずっと遊んでたよね。『僕はサーフィン覚えるから、隆一はゴルフ覚えよう!』ってなって。彼はミュージシャンだから、最初ゴルフにはちょっと抵抗があったみたいだけど、タイガー・ウッズが出てきてから、『ゴルフはゲームじゃなくてスポーツなんだ』と意識が変わったようですね。『僕と秀樹さんでゴルフを変えていきましょう』って言い出すようになって(笑)。それから隆一クンはのめりこみましたね。僕は僕で、彼に教えてもらったサーフィンにのめりこんだし。まだ下手なんですけど」

 

河村「いや、センスはいいですよ」

 

西城「とにかくそういう遊びばっかりをしてて、1年くらいたってからかな、どちらからともなく『一緒に仕事やろうか』ってなったんだよね」

 

河村「そうですね。おととし、秀樹さんがボックス・セットになったベストを出されたんですけど、それを聴いてるとき『ブルースカイ・ブルー』とか、ホントに名曲が多いなとあらためて思ったんですよ。そしたら僕も曲を書いてみたくなって、『時のきざはし』のイメージがワーッと出てきた。すぐに『テープを聴いてもらえませんか』と電話したんです」

 

西城「夜中ですよ。『今から行っていいですか』って言うんで、何かあったのかなと思いましたよ。そしたら『でき上がりました』とテープを渡されて。もし彼が女だったら、俺、惚れちゃいますよ。夜中に『コレ、できたの』なんて持ってこられたらゾクッとしちゃうでしょ(笑)」

 

河村「とにかく早く聴いていただきたかったんですよ」

 

西城「聴いてみて、なるほどと俺は思いました。これは西城秀樹の20世紀をバラードで締めくくってほしいという、隆一クンからのメッセージだと思ったんです。それまでたしかに楽曲的にちょっとぬるま湯につかっていたところがあったんで、そこに見事に直球を投げられた気がして。デモテープのときはまだ詞がなくてラララで歌ってたんだけど、ホント、涙が出ました。また彼の歌が上手いんですよ。といっても、そこで俺は『上手いな』とは絶対思わないんですよ。『頭くるな。こんなに響きやがって。冗談じゃないよ。よし、やってやろうじゃないか』って、そんな感じ(笑)。隆一クンてある意味繊細だけど、そうやってときとしてストレートで俺を刺激してくる。だから俺もそれに応えることをやりたいと思うわけで」

 

河村「秀樹さん、あれは僕からのチャレンジだったんです。普段仮歌はスルーで歌うだけでチェックなんかしないんですけど、秀樹さんにお渡しするときは、パンチインとかしましたから」

 

西城「やっぱりそうだろう?それは感じたんだよ」

 

河村「もう一生懸命やりました(笑)」

 

西城「でもホント、これまでの俺の世界になかった曲だったんで、チャレンジしてみようと思ったんです」

 

河村「それ99年の暮れで、年明けから作業に入ったんですよね。あの曲のアレンジはオーケストレーションを中心にしました。気持ちでもっていきたかったんで、拍がカッキリしてないというか、たまるところはたまって、走るところは走るというサウンドです。オケのレコーディングのときはまだ詞ができてなかったんですけど、秀樹さんには同時録音でラララと仮歌を入れてもらいました。その瞬間ですね。『アッ、勝ちだな』と思ったのは。とにかくあの瞬間までお互い手探りだったんで、秀樹さんも『どうかな?』とブースから出てこられたんですけど、『もう、最高です』と僕は手放しで答えました」

 

西城「あれだけ生弦を使った雄大なサウンドなので、それに負けちゃいけないという想いがまずありましたね。でも、その意識だけだと、サウンドに声が交わらなくなっちゃう。やっぱりウネりなんですよね。あのときは頭を真っ白にして歌うことができた。いざ詞ができて歌入れするときに、そのよさが出せるかどうか、その戦いはまだありましたけど」

 

河村「僕なんかが本人の目の前でこんなこと言うのもヘンなんですけど、『こんなに声が鳴るんだ』『やっぱりこんなにスゲーんだ』って、このときあらためて思いました」

 

西城「また、詞がいいんですよ。俺はあの詞を見て、トップを走ってるマラソン・ランナーの孤独感みたいなものを思い浮かべた。この先スピードを上げるか、守りに入るか、あとは自分の調整次第だけど、調整しすぎても負けてしまうというようなね。隆一クンは俺のことを理解して書いてくれてたんだと思うんだけど、なんかそれは彼自身のあり方のような気もして。『ひょっとして、音楽とか生き方に対して、お互い近いものがあるんじゃないかな』って言ったら、彼は『やっぱりそうなんですかね』って笑ってましたけどね。あの曲を歌ってると、不思議と『あー、俺もこう進んでいかなくちゃな』と、詞が自分の中で現在進行形に変わってくるんです。愛というものの中に、俺自身のたどってきた道をうまくまぜてくれてて、すごい大ロマンがそこにあるという感じになってますよね。キーも俺の限界のところだし」

 

河村「そうなんですよね」

 

西城「歌入れはまさに裸でぶつかったという感じでした。少々音程が揺れてても全体のグルーヴを大事にして、なるたけスルーの形で録ろうということになったんです。事前にそういう打ち合わせをしてたんで、現場では隆一クンのディレクションにいっさいお任せしました。ライブでも何度か歌ってますけど、いつ歌っても感動するんですね。いい作品とヒット曲ってあると思うんですが、『時のきざはし』は両方の要素を兼ね備えてますね」

 

河村「実は、今また秀樹さんの新曲を作ってるところなんです。ここ1週間ほどは、秀樹さんのプリプロだけに費やしてました」

 

西城「今回は3曲だよね。今日もこれからアレンジャーさんと打ち合わせをするんですけど、そうやっていろいろ相談しているときが一番楽しいんです。最初の1年、食事やスポーツでプライベートなつき合いができてたので、お互い自然な形で何かを発想することができるんですよね。隆一クンも俺も、かまえて考えようとすると頭のどこかがブロックされちゃうんで、悩んだときは遊びますね。ミュージカルを一緒に見に行ってみたり。で、『あれよかったよね』なんて話してるうちに、なんでもないところにふと何かが見えてくる。そこからの発想は早いんですよ、彼は。だから俺もまた別の舞台を見に誘ってみたりね。いいものを書いてもらうために、いい環境をどんどん作ってるんですよ(笑)」

 

河村「連れていってくださった舞台のシナリオが、ドンピシャに僕の心情にハマったりもするんですよ」

 

西城「そういうのを選んでるわけよ(笑)。感動してもらえると、こっちとしてはシメシメと思うわけで」

 

河村「涙出そうになるのを、サングラスをかけて隠したりしてました(笑)」

 

西城「一緒にものを作るって、そういうつき合いの中でできてこそ本当だと思うんだよね。『お願いします』、『ハイ、できました』ではつまらないし、かといって自分ひとりで作るのでは世界は広がっていかないと思う。やっぱり、信頼できる人と何かを作れるというのは面白いですよね」

 

河村「僕がそういう人になれていつかどうかはわからないんですけど、ただ僕が本当に感じているのは、秀樹さんのようなタイプの歌を歌う方で、秀樹さんみたいなポジションにいる人は他にはいないってことなんです。僕は今30歳なんですけど、40、50代になったときに何ができるかと、すごく興味がある。だから、とにかく秀樹さんに曲を渡すときは、自分が本当に歌いたいメロディかということを基準にしてるんです。秀樹さんがこれまで歌ってこられた名曲に負けないような名曲を、たとえ時間がかかっても僕は作って歌ってもらいたいと思ってるんです。21世紀の西城秀樹の代表曲はコレ!っていうものを、いつか絶対作りたいんです」

 

西城「『時のきざはし』は、こねくりまわしたところがなくて、純粋にサビで気持ちいいところにもっていくためのメロディの作り方をしてると思う。基本的に彼はすごくロマンチストですよ。LUNA SEAのアルバムも聴いたことあるけど、ソロで書いてる曲はそれとはまったく違ったものになってるし。そこがまた面白いと思ったよね。もしかしたら、隆一クンがこれからやろうとしてることを、俺はいち早く垣間見させてもらってるのかもしれない。とにかく、俺自身が自分で持っているとは気づいてなかった世界を、うまく引き出してくれてます。また彼は、70年代の一番おいしいところをよく知ってるんですよ。日本のスタンダードとは何ぞやということをよく理解して、21世紀に橋を渡してる。今、ほとんどが体感音楽って感じのものになってるけど、彼は古いものと新しいものとのミスマッチを考えてますね。今回のカップリングは3連の曲だし」

 

河村「ちょっとフィフティーズっぽい感じなんですよ」

 

西城「俺なんかが聴くとハッとするくらい懐かしい感じの曲だけど、ちゃんと隆一ワールドにまとめてますよね。『俺こういうのすきだから、もう1曲増やしてよ』なんて、今またお願いしてるんですけど」

 

河村「秀樹さんは、もちろんスピードでドライブしていくのもイケるんですけど、僕はどこかで深い呼吸をしてる感じを出したいと思ってるんです。それは、曲の間だったり、歌詞ののせ方だったり。だからといってバラードってことではないんです。ちょっとした癒しが感じられるものというか」

 

西城「ふたりとも、そういうのが必要な年代なのかもしれないね。あと大事なのは、世代に関係なく人々が何かを感じることのできるしだよね。簡単だけど深い言葉というのかな。俺から具体的にこの言葉を使ってほしいとは言わないけど、たぶん隆一クンは俺との雑談の中でフッと感じたことを頭の中にメモしてると思う」

 

河村「僕は今の秀樹さんの見え方のとのギャップを、どこかに出していきたいと思ってるんです。たとえば『時のきざはし』は、秀樹さんが歌うには甘すぎる詞かもしれない。でも、あえてハードボイルドな方向にはしなかったんです。秀樹さんの日常の顔がほんの少し見えてくるような、それでいて堂々としているような、そんなイメージのものにしました。というのは、一方の顔は、熱唱の似合う情熱的な秀樹さんだけど、軽やかにささやくように歌うのが似合う秀樹さんというのもあるわけですよ。そのギャップを僕は知ってるし、ファンの人たちも一番見たいんじゃないかなと思うんです」

 

西城「僕は坂本龍馬が大好きなんだけど、あの強い男がおりょうという自分の彼女の前で、初めてひざまづいて泣きじゃくるという場面があってね。そこがすごく感動的なんだよね。そういう深さのある詞をやっぱり歌ってみたいと思う」

 

河村「どんなに強い人でも弱さがある。その弱さを表現できる人って捨て身だし、本当に強い人なのかもしれないですね。それをまた武器にしていくと女々しくなっちゃうけど、竜馬のように他では絶対見せない涙を女性の前で見せるというのは、男のロマンだと思います」

 

 

 

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菊池桃子さんが語る西城秀樹さん

2023年(令和5年)9月2日(土)10時~11時

文化放送【菊池桃子のライオンミュージックサタデー】

https://www.joqr.co.jp/qr/program/momoko/

公式SNS @momokomusicjoqr 

https://twitter.com/momokomusicjoqr

MC 菊池桃子さん

アシスタント 寺島啓太さん

 

テーマ ❝ ザ・スターソングコレクション ❞

 

菊池桃子さん:

昭和48年に発売された西城秀樹さんの5枚目のシングル「情熱の嵐」。

『君が望むなら』の後に入る観客の、ファンからの、『ヒデキ!』っていうのが特徴的ですよね。今、曲がかかっている時に、寺島さんと構成のオオムラさんと3人でやってました。ついやっちゃいますよね!我慢できないですよね(笑)。

 

この曲ではじめてチャートのトップテンに入り、スターの仲間入りを果たした秀樹さん。同じ時期に郷ひろみさん、野口五郎さんもトップテンに入り、新御三家の時代が始まりました。ライブに行ったことがない人でも、どのタイミングで言えばいいのかわかるっていうのが、もう、凄いなと思います。

 

メッセージ頂いております。ラジオネームTさん『私にとってスターと言えば、小さい頃テレビの前で、ヒデキ!と叫んでいた西城秀樹さん。この世のものとは思えないほどかっこよくて、歌が上手くて、キラキラ輝いていた秀樹さんは、まさにスターそのものでした。』とのこと。ありがとうございます。

 

私は芸能界にデビューして…、特に、高校1年生でデビューしたので、高1高2高3くらいって、アイドル番組に出ると、先輩後輩のことでピリついてたりとか、ちょっと雰囲気が悪かったりする中で、その…アイドルで…アイドルって言っちゃいけないか、秀樹さんの場合、スターだから。

アイドル番組の…なんだろ…取りまとめ役みたいな感じでいて下さる秀樹さんって、みんなに優しくて、『いじめなんか許さない』っていう…すごい正義感というか、あの雰囲気が、ホントに助かりました。…お礼を言いたい存在でしたね。

 

で、私ね、もう…もちろん10年以上前の話なんですけど、マネージャーさんと一緒に夜、食事を取りにレストランに入ったことがあるんです。仕事の合間に。そしたら秀樹さんが隣のテーブルでご家族でいらっしゃって、「あ!テーブルくっくけちゃおうよ!」って言って下さって。ご家族とお話したので、そしたら、お子さんが小さかったんだけど、お子さんが、「うちのパパね、かっこいいんだよ!僕ね、パパのファンなんだよ!」とかって言ってて。それが凄く可愛かったの!お子さんは、スターの遺伝子をバリバリ受け継いで、凄いイケメン君になってるんだろうなぁ…。

 

みなさんリクエストありがとうございました。

❝ ザ・スターソングコレクション ❞ 4曲目は西城秀樹さん「情熱の嵐」でした。

 

 

 

菊池桃子さん、ありがとうございました。

 

 

❝ ザ・スターソングコレクション ❞ セットリスト

沢田研二「勝手にしやがれ」

山口百恵「ひと夏の経験」

にしきのあきら「空に太陽があるかぎり」

西城秀樹「情熱の嵐」

矢沢永吉「時間よ止まれ」

今週の桃子曲「Say Yes!」

鈴木邦彦さんが語る西城秀樹さん

BS-TBS 特別番組【西城秀樹 歌声は永遠に 甦る情熱と汗の全軌跡】

 

 bs.tbs.co.jp

 

本放送 2022年(令和4年)5月13日(金)21時〜22時54分 

再放送 2023年(令和5年)2月3日(金)21時〜22時54分

 

 

西城秀樹のデビュー曲「恋する季節」。作曲は筒美京平。だがこの曲は秀樹のために書かれたものではなかった。人気グループ・サウンズ、ザ・カーナビーツのボーカル、アイ高野のために用意されたが採用されず、秀樹のデビュー曲となったのだ。

そこでスタッフは第二弾として、ワイルドな17才西城秀樹のための曲を作ることにした。

白羽の矢が立ったのは作曲家の鈴木邦彦。

鈴木邦彦は大学時代からジャズバンドで活躍。中村八大に作曲と編曲を学び、作曲家デビュー。

昭和43年には黛ジュンに提供した「天使の誘惑」で第10回レコード大賞を受賞。売れっ子のヒットメーカであった。その鈴木邦彦がヒデキに書いたのが、デビュー第2弾の「恋の約束」。ここから秀樹の快進撃が始まる。そして第3弾は「チャンスは一度」。第4弾「青春に賭けよう」も鈴木の作曲。

 

 

当時17歳の秀樹と34歳の鈴木邦彦。二人はどんな関係だったのか。

 

鈴木邦彦さん:(秀樹は)音楽仲間ですね。後から判ったんだけど、やっぱりバンドをやっていたんですよ。だから仲間なんですよね、やっぱり。歳はもちろん僕の方が上なんだけど、もう、横一列。向こうも言いたいことを言うし。という感じで、その結果、彼がそれを歌って売れる売れないっていうのはわからないけど、歌いたい歌を歌うんだ!っていう感じで、二人で選んでいったっていう…そういうような作り方をした、数少ない歌手の人との付き合いですね。だから、こいつのためには、こう言う感じの曲を歌わせたらどうかな?とかって。すごく沢山のものを彼に与えることができるような素材が(秀樹には)あったような気がしますね。

 

秀樹の音楽性については

鈴:リズム感がすごくいいですよね。ライブハウスでも散々歌って来てるから、その匂いは消せないんですよね。だからすごくいい意味で、それを活かしながら歌ってきたんじゃないかなと思いますけどね。この歌手に、これだとここは歌いにくいだろうから変えてこういう風にしちゃう、ということを考えながら我々はやっていくわけですけども、秀樹の場合にはそういうことは考えなくていい。ちょっと天才的な部分があるんじゃないかと思いますけどね。いちファンとしても引き寄せられちゃう。歌を聴きたくなっちゃうなっていう感じの何かを持ってますね。

 

「青春に賭けよう」は秀樹のリズム感の良さを際立たせた曲。

そしてデビュー第5弾。鈴木邦彦が作曲した「情熱の嵐」で、西城秀樹はその名を不動のものにする。ヒット曲はどのようにして誕生したのか。…秀樹の人気が増すにつれ、困ったことが起きた。秀樹がステージに立つと、ファンがキャーキャー騒ぎ、歌を全然聴いてくれないのだ。そこでスタッフは鈴木に、ファンと一体となる曲を依頼した。

 

鈴:お客は聴き手じゃなくて、歌い手に参加しちゃう!みたいな作り方が上手くいったんじゃない。仲間なんだから!みたいな。「情熱の嵐」っていうのに、秀樹が上手くのってくれて、それで、そういう歌い方で、みんなが参加するように、歌うようになったっていうのは、ひとつの、新しいパターンが誕生したような気がします。

 

鈴木が考えたのは、〝コール&レスポンス〟という曲作り。

曲の間にファンがヒデキ!と名前を叫べるようなメロディを作ることにした。

 

鈴:(楽譜を見ながら)♫ 君が望むなら ♪ つったら…そこんとこに空間がありますよね。そこに「ヒデキ!」と言わせるような空間を設定して。ここでお客が歌っていいんだと。

【参加型】っていう言葉もあるけども、秀樹はその、一つの性格に、人懐っこい、要するに人が好きな性格っていうのが、非常に「情熱の嵐」でもうまく、プラスに動いたんじゃないかなと。

秀樹が歌ってるからって、黙って(かしこまったポーズをして)聴いてなくていいんだよって。

 

西城秀樹さんについて、今、思うこと

 

鈴:秀樹の場合には、「おう!なにやってんだよ!」とか、そんな感じで、こう、接していけるような友人というか…。向こうもそう思ってるだろうけど、友人としての付き合いがすごく良かったかな。

 

 

 

鈴木邦彦さん、西城秀樹さんについて語って下さってありがとうございました。

 

 

 

作曲家鈴木邦彦 公式サイト

www.bellmusic.co.jp

西城秀樹デビュー50周年記念7枚組DVD BOX  TBS出演集【THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories】

「8時だヨ!全員集合!」1973年6月9日「セブンスターショー」1976年2月29日「情熱の嵐」歌唱映像収録

www.110107.com

 

 

ブロウアップヒデキ

 

 



ヒデキ:自分で歌を上手いとか、そんなことを思ったことはないですよね。

自分で言えることは、一生懸命やってるっていうね、つまりハートがあるんだよっていうね。

あるんだよっていうより、僕の気持ちはわかってくれれればそれでいいわけですよ。

また僕は向こうの気持ちファンの皆さんの気持ちが、歌ってて、ほんとにわかるというか、だから、よく心と心が通じうからだよ、なんてね軽く言う人がいるんですけどね。

そんな軽く言ってるもんじゃなくてね。

そんな、言ったってわからない。

ただ、本当に、そういうねうーん、立場になった人じゃないとわからないと思いますね、僕…。

 

 

なんで これだけ、わあっ!て歓声が来て、あれなのかなあと。

色々考えたらやっぱり通じ合ってるんじゃないかなって。

気持ちの問題ですね。SHOWってのは。

そのよくSHOWなんかでエンターテイナー、SHOW MAN人を喜ばせなきゃいけないって言うことがありますね。

 

人を喜ばせなければいけないんじゃなくて、僕たちの場合は『一緒に、喜びたい』と。

そう言う気持ちで常にやっていきたい。

ファンの人との喜び悲しみ、全部が、やっぱり…。

 

『ひとりふたりの友達より、大勢の、日本中の友達、仲間。

そういう感じで人生を過ごせたら、素晴らしいな』

 

と、思います。

 

(映画「ブロウアップヒデキ」冒頭インタビュー書き起こし)

 

 

 



 

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www.110107.com

「ブロウアップヒデキ」 東名阪Zepp上映 特設サイト(2018年7月17日)

 

www.youtube.com

松竹チャンネル 

「ブロウアップヒデキ 」初DVD化決定予告動画(2015年4月13日)

 

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