BS-TBS 特別番組【西城秀樹 歌声は永遠に 甦る情熱と汗の全軌跡】
本放送 2022年(令和4年)5月13日(金)21時〜22時54分
再放送 2023年(令和5年)2月3日(金)21時〜22時54分
西城秀樹のデビュー曲「恋する季節」。作曲は筒美京平。だがこの曲は秀樹のために書かれたものではなかった。人気グループ・サウンズ、ザ・カーナビーツのボーカル、アイ高野のために用意されたが採用されず、秀樹のデビュー曲となったのだ。
そこでスタッフは第二弾として、ワイルドな17才西城秀樹のための曲を作ることにした。
白羽の矢が立ったのは作曲家の鈴木邦彦。
鈴木邦彦は大学時代からジャズバンドで活躍。中村八大に作曲と編曲を学び、作曲家デビュー。
昭和43年には黛ジュンに提供した「天使の誘惑」で第10回レコード大賞を受賞。売れっ子のヒットメーカであった。その鈴木邦彦がヒデキに書いたのが、デビュー第2弾の「恋の約束」。ここから秀樹の快進撃が始まる。そして第3弾は「チャンスは一度」。第4弾「青春に賭けよう」も鈴木の作曲。
当時17歳の秀樹と34歳の鈴木邦彦。二人はどんな関係だったのか。
鈴木邦彦さん:(秀樹は)音楽仲間ですね。後から判ったんだけど、やっぱりバンドをやっていたんですよ。だから仲間なんですよね、やっぱり。歳はもちろん僕の方が上なんだけど、もう、横一列。向こうも言いたいことを言うし。という感じで、その結果、彼がそれを歌って売れる売れないっていうのはわからないけど、歌いたい歌を歌うんだ!っていう感じで、二人で選んでいったっていう…そういうような作り方をした、数少ない歌手の人との付き合いですね。だから、こいつのためには、こう言う感じの曲を歌わせたらどうかな?とかって。すごく沢山のものを彼に与えることができるような素材が(秀樹には)あったような気がしますね。
秀樹の音楽性については
鈴:リズム感がすごくいいですよね。ライブハウスでも散々歌って来てるから、その匂いは消せないんですよね。だからすごくいい意味で、それを活かしながら歌ってきたんじゃないかなと思いますけどね。この歌手に、これだとここは歌いにくいだろうから変えてこういう風にしちゃう、ということを考えながら我々はやっていくわけですけども、秀樹の場合にはそういうことは考えなくていい。ちょっと天才的な部分があるんじゃないかと思いますけどね。いちファンとしても引き寄せられちゃう。歌を聴きたくなっちゃうなっていう感じの何かを持ってますね。
「青春に賭けよう」は秀樹のリズム感の良さを際立たせた曲。
そしてデビュー第5弾。鈴木邦彦が作曲した「情熱の嵐」で、西城秀樹はその名を不動のものにする。ヒット曲はどのようにして誕生したのか。…秀樹の人気が増すにつれ、困ったことが起きた。秀樹がステージに立つと、ファンがキャーキャー騒ぎ、歌を全然聴いてくれないのだ。そこでスタッフは鈴木に、ファンと一体となる曲を依頼した。
鈴:お客は聴き手じゃなくて、歌い手に参加しちゃう!みたいな作り方が上手くいったんじゃない。仲間なんだから!みたいな。「情熱の嵐」っていうのに、秀樹が上手くのってくれて、それで、そういう歌い方で、みんなが参加するように、歌うようになったっていうのは、ひとつの、新しいパターンが誕生したような気がします。
鈴木が考えたのは、〝コール&レスポンス〟という曲作り。
曲の間にファンがヒデキ!と名前を叫べるようなメロディを作ることにした。
鈴:(楽譜を見ながら)♫ 君が望むなら ♪ つったら…そこんとこに空間がありますよね。そこに「ヒデキ!」と言わせるような空間を設定して。ここでお客が歌っていいんだと。
【参加型】っていう言葉もあるけども、秀樹はその、一つの性格に、人懐っこい、要するに人が好きな性格っていうのが、非常に「情熱の嵐」でもうまく、プラスに動いたんじゃないかなと。
秀樹が歌ってるからって、黙って(かしこまったポーズをして)聴いてなくていいんだよって。
西城秀樹さんについて、今、思うこと
鈴:秀樹の場合には、「おう!なにやってんだよ!」とか、そんな感じで、こう、接していけるような友人というか…。向こうもそう思ってるだろうけど、友人としての付き合いがすごく良かったかな。
鈴木邦彦さん、西城秀樹さんについて語って下さってありがとうございました。
作曲家鈴木邦彦 公式サイト
西城秀樹デビュー50周年記念7枚組DVD BOX TBS出演集【THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories】
「8時だヨ!全員集合!」1973年6月9日「セブンスターショー」1976年2月29日「情熱の嵐」歌唱映像収録