言葉ではないもので 西城秀樹 書きおこし

西城秀樹さんについて語られた言葉を記録しています。

西城秀樹デビュー記念日によせて「徹子の部屋」書き起こし①

 

テレビ朝日「徹子の部屋」 

1982年(昭和57年) 3月9日

 

黒柳徹子さん(以下徹子)

「今日が、ちょうどデビューなさって10年目だそうでございます。

そして、この10年間、ほんとに!力一杯歌っていらしたんです。

新御三家という風に呼ばれていらしてから、もう10年ということでございますけれど、

今年は冒険心100%でいらっしゃりたいそうでございまして。

漏れ承るところによりますと、プロマイドの売れ行き総合では第1位ということだそうでございます。

西城秀樹さんです」

 

西城秀樹さん(以下ヒデキ)

「どうもこんにちは(笑)お久しぶりです」

徹子「お久しぶりでございますというのも変ですが(笑)でも、お元気そうねえ~」

ヒデキ「そうですね。割とね、この頃食べ物とかね。色んなものに気を使っているんですよ。だから、かなり調子はいいですよ。身体、体調は」

徹子「ああそう~。随分色んな若い歌手の方も俳優の方も出てらしてね。なんていうんですか、プロマイド売り上げベストテンとかよくあるじゃありません?総合すると1位おなりになられて」

 

ヒデキ「こないだ僕も拝見してね。ああ、頑張ったな! なんてね(笑)」

 

徹子「プロマイド屋さんの発表で」

 

ヒデキ「はい」

 

徹子「そうですか。

でも、あなたが今目指してらっしゃるのは、50歳になった時に、タキシードが似合う人がいいんですって?」

ヒデキ「そうですね。やっぱり、こうなんて言うんですかね。自分が

4050になって本当にタキシードが似合う男性っていうのにはなりたいですね。

それでタキシードは着てるけども、ちょっと袖捲りをすると、ロックも歌えるよ?っていうようなね(笑)。

そういうなんか、粋な、小粋なね、アーティストにはなりたいとは思っていますね」

 

徹子「でもやっぱり、どんどんどんどん音楽も変わってくるし、色んなことが変わってきてるでしょ?

そういう中でやっぱり10年間歌ってらっしゃる。そして、いつも人気があるっていうのは大変なことだっていう風にわたくしも思うんだけれど

 

ヒデキ「はい」

 

徹子「やっぱりそういうことは随分

 

ヒデキ「そうですね。

あのやっぱりそれだけ何ていうんですかね。

周りの人達にすごく恵まれたことも勿論、ありますし。

それと同時になんていうのかな〝大きな愛〟っていうんですかね。

そういうもので『西城秀樹』っていうひとりの人間をこう見守ってくれているっていうのが、僕は10年間の中で感じたんですけどね」

 

徹子「ああー

 

ヒデキ「特に、応援してくださる皆さん、或いはスタッフの方々っていうのは、そういった部分で、僕がなんか線路から脱線すると、『違うぞこっちだぞ』っていう風にちゃんと正しいことを、教えて頂いたっていうのが1番良かったみたいですね。

厳しかった事もありますけども、自分で反抗しながらも、色んなことがありましたけどその中でやっぱりこう10年というのを区切りにしてみると『あ、間違ってなかったな。自分が歩んで来た道は』と今は思いますね。

だからこれからの10年を、またあの、本当に、間違っても、すぐ、なんかこう修正できるようなね、そういう自分を作って行きたいっていうんですかね。

 

よりやっぱり良い10年にするには、これからの人と人とのやっぱり対話も勿論だろうし、人間という、友達というね。自分の素晴らしい、友、財産というものを自分で広げて行きたいなと思っています」

徹子「うん。それは、あなたが魅力がおありになるから。

それからあなたが努力してらっしゃるっていうこともあると思うけども

やっぱりこの頃、若い人は、人間ていうのは、人に対してそんなに愛を持っているもんじゃないとかね、

世の中っていうのはもっと冷たいものだとかって思っていらっしゃる方も多いと思うの

 

ヒデキ「うん」

 

徹子「だけどそういう点、あなたは、世の中の人とか、人間を信じていらっしゃる?」

ヒデキ「僕は、信じてますね」

 

徹子「そうーー

 

ヒデキ「あの、悪い人ばっかりじゃないと思うんですよね」

 

徹子「うん」

 

ヒデキ「だから、確かに、好き嫌いっていうのはあると思うんですよね。人によって。

でも、僕も結局、好きだけどああいうところは嫌いだって人に言われていると思うんですよね。

或いは、思われて当然なんですよね。

だから、そういう部分の、良いところはやっぱり見習いたいし、で、悪いところは自分にこう振り返って、そこを、人のふり見て我がふり直せ、みたいなもんでね。あの勉強していきたいし。

そういう風な気持ちもある方が、自分がなんかすごくこう、いつも何て言うんですかね、フレッシュにいられるみたいなところはありますね。

だから、そう思うようにやっぱり自分で努力しているのかもしれませんね」

徹子「ええーまあーーそうでしょうねえ。

そういうこともご自分の中で」

 

ヒデキ「ええ」

 

徹子「でもわたくし、さっき新御三家ってご紹介してね」

 

ヒデキ「はい!」

 

徹子「皆さんご存知なのは、あなたと、郷ひろみさん、野口五郎さん。

でもはじめに全然違う方と3人で?」

 

ヒデキ「最初はですね、伊丹幸雄くんとそれから田頭信幸くんというのがいたんですよね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「それでウエスタンカーニバル、まだ日劇がある時に、『新御三家』っていうタイトルで3人で、やっていたんですよ。コンサート」

 

徹子「あら」

 

ヒデキ「ええ。それで、またしばらく経つと、幸雄くんは今(オレたち)ひょうきん族っていうので頑張ってらっしゃいますし」

 

徹子「ああ」

 

ヒデキ「あの、田頭さんは、芸能界やってないみたいなんですけどもね。

しばらくたったら、郷くんが出て来まして。で、あの、野口くんは僕より一年先輩ですから。所謂なんていうんですかね。そこで新たに新御三家っていうのが作られたんですね」

 

徹子「ああ、そう~。やっぱり御三家の三人をライバル的っていう風にお思いになる?」

 

ヒデキ「そうですね。良い意味でライバルだと思いますし、励まし合いもできますしね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「そういう意味じゃ、なんかあの、良い友達っていうんですかね?同級生っていうんですかね、同期生っていうそういう感じはしますね」

 

徹子「はあー。

デビューの1作目っていうのは売れなかったんですって?」

ヒデキ「ああ、うーん、あんまりよくなかったですね」

 

徹子「ええ」

 

ヒデキ「でも、あの『恋する季節』なんですけどもね。

サイン会なんかあっても、こう例えばあの、全然(周りは自分を)知らないわけですからね。

『すみません。あの、新人の西城秀樹です、恋する季節でデビューしました!』って言うと、人がこう前の方をよぎって『どうもさようなら』っていう感じで(笑)」

 

徹子「ああ!そうー。

でサイン会っていうのは、買ってくださる方にサインをするっていう」

 

ヒデキ「そうです」

 

徹子「ああ~、だから買ってくださらなきゃ、あなたはサインをするチャンスもないわけ?」

 

ヒデキ「そうですね」

 

徹子「で、何作目からあなたは大変な爆発的(人気)?」

 

ヒデキ「恋する季節、恋の約束、青春に賭けよう、チャンスは一度…5作目ですね。

情熱の嵐という曲で初めてあの所謂ベストテンの中に入ってきたんです」

 

徹子「ああそう~。で、その、1作目でございますけど、わたくしは今まで1回もそれをお聴きするチャンスがなかったわけでございますので」

 

ヒデキ「ああ~(笑)」

 

徹子「皆さんはもう、ファンの方はご存知と思うけれど。

今これだけ歌がお上手な西城さんで。これだけ人気のある方のその1作目の」

 

ヒデキ「ぐっ(笑)」

 

徹子「恋する季節っていうのはどういうのかってのを。わざわざ」

 

ヒデキ「(笑)ははっ、17歳の時ですからね」

 

徹子「え、いくつの時?」

 

ヒデキ「だからレコディーングした時は16ですよね(笑)」

 

徹子「(笑)その西城さん、だから10年前のね」

 

ヒデキ「そうですね」

 

徹子「今日は記念でございますね!

聴かせて頂きたいと思ってちょっと、レコードをね」

 

ヒデキ「あははっ、声がだいぶん違うでしょうね~(笑)」

 

西城秀樹『恋する季節』(1972年3月25日発売)

https://youtu.be/iMdwVTdZuoc?si=H46ABFMQ-mGf1WxI

 

ヒデキ「あっはは恥ずかしいですね、やっぱりね~すごく

 

徹子「でも、恥ずかしいって今おっしゃったけど16歳で!!随~分~しっかりした、声ね!!」

 

ヒデキ「いやいや~この時ね、学生服僕ね確か着て、歌ったんですよね、レコーディングの時」

 

徹子「へえ~でもほんとに、ちょっとこうセクシーって皆さんおっしゃっるけど、ちょっとしゃがれっぽい声のね、力強い声で。今の声と変わってる?」

 

ヒデキ「やっぱりちょっと変わってるみたいですね。今のが太くなったみたいです。声が」

 

徹子「ああそうーでも何か16歳とは思えない、何かしっかりした、お声だけだとね」

 

ヒデキ「いやいや、最初はもうびっくりしましたよね。スタジオ入っても。

はあ~、これが東京のスタジオなんだ~なんていうね。見るもの聞くもの全て新しいから」

 

徹子「ああそう~。そして、ご自分では色々そういうエレキとか色んなバンドでね、同じ年代の方とはやってらしたと思うんだけれど」

 

ヒデキ「ええ」

 

徹子「ああいうスタジオ入って。色々な方たちが、ああいうな大きなバンドっていうんですか?そういう時はやっぱり怖かったですか?」

 

ヒデキ「怖かったっていうかすごい近代的なんでね」

 

徹子「ははは」

 

ヒデキ「はぁ~広島とは違うという(笑)そういうイメージが強かったですね」

 

徹「はあ~そうねえ~!きっと」

 

ヒデキ「わりと素朴に育った人だったから(笑)あんな機械を見たことはなかったですね」

 

徹「はあー、そう!いろんな機械たくさん。今はもっと凄いもんね!今驚かないでしょ、だけど」

 

ヒデキ「まあ、あまり驚かないですけどね。でも、当時はやっぱりびっくりしましたね(笑)」

 

西城秀樹さんは

1972年(昭和47年)325日にデビュー。

2020年(令和2年)の今日、デビュー49年目を迎えました。

デビュー曲「恋する季節」キャンペーン中の西城秀樹さん。

(東京新宿区高田馬場駅前)

 

 

秀樹さん、西城秀樹さんになってくれてありがとう。

 

 

2020325日AmebaBlogに掲載(現在は閉鎖)

2024年3月25日再掲