FM COCOLO 特別番組
【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】
<本放送>
2021年(令和3年)6月11日 金曜日 19時00分~20時00分
<再放送拡大版>
2021年(令和3年)8月10日 火曜日 3時00~5時00分
<出演>
加美幸伸さん(FM COCOLO パーソナリティ)
佐藤剛さん(音楽プロデューサー・作家)
梅垣達志さん(作曲家・ギタリスト)
今夜8/10 27:00-29:00 (8/11 3:00-5:00)『GREAT STORY -不滅のスタア-』再放送拡大版 は、
— FM COCOLO🌏76.5MHz (@fmcocolo765) 2021年8月10日
「西城秀樹が愛した知られざるCITY POP」お楽しみに
▼スマホで聴けます(OA後も1週間聴けます)
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28時台→https://t.co/5IjjIWrA9M#fmcocolo #西城秀樹 pic.twitter.com/LUTm0xY667
加美幸伸さん(以下、加美)
【FM COCOLO GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】
8月10日火曜、時刻は3時を回りました。こんばんは、加美幸伸です。
いつもならこの時間は【MIDNIGHT ALLEY part2】の時間なんですが、今週は内容を変更しまして、松田優作、西城秀樹、高倉健、RCサクセションといった昭和を彩ったスタァの皆さんを日替わりで特集する【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐】をお届けします。
実は【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐】、6月に1時間のプログラムとしてすでにオンエアされたのですが、実際はかなり貴重な話や、素敵なエピソードががたくさんあったにもかかわらず、時間の都合で泣く泣く編集されたり、楽曲がカットされた部分が多々ありました。
その後リスナーのみなさんから反響がたくさんあったこともあり、このお盆シーズンのこの時期に、ほぼほぼ未編集、そして追加要素ありの再放送拡大版としてこのたびオンエアされることになりました。
さて、そんな二日目の今夜は【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 再放送拡大版 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】をお届けします。(本放送は)僕と一緒に、佐藤剛さん、ゲストには梅垣達志さんお迎えしてお届けしました。
様々な切り口で、〝西城秀樹のロックを、そして歌・音楽を探る。仮想し妄想して感じ考える〟という特集。
ファンの方々にあたたかく迎え入れていだだいたこと、とても感動しました。そして感謝しました。
さあ!そして6月からの二か月の間に、西城秀樹さんについて嬉しいニュースの続報も届きましたね。
デビュー50周年イヤーの今年は、待望のオリジナルアルバム全作品復刻、そしてライブ・カバーアルバムを含むすべての作品が、これから2年間にわたり発売されていきます。
ということで、前回のオンエアの一週間後、6月18日には、その記念すべき復刻シリーズの第一弾、5作品が発売されました。
そして7月には、オリジナルアルバム復刻第二弾が早くも発表されました。
今回は9月17日金曜日、1976年から79年までにリリースされたオリジナルアルバム6作品が復刻されます。
「愛と情熱の青春」「若き獅子たち」「ブーツを脱いで朝食を」「ファーストフライト」「YOUNGMAN(Y.M.C.A.)HIDEKI FLYNG UP!」「Feeling Free」6枚目から10枚目のオリジナルアルバムと、ベストアルバムの6枚が発売。
さあ、それでは【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 再放送拡大版 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】お楽しみください。
まずは一曲お届けしましょう。
1979年4月にリリースされたベストアルバム「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)HIDEKI FLYNG UP!」に収録されています。1978年リリース、25作目のシングルです。『炎』。
<BGM>
・『ラヴィング・ユー・ベイビー』(KISSのカバー/ライブアルバム「BIGGAME 79 HIDEKI」収録)
・『恋の約束』(アルバム「ワイルドな17才」収録)
・『青春に賭けよう』(アルバム「青春に賭けよう」収録)
・『情熱の嵐』(アルバム「エキサイティング秀樹」収録)
・『夏の日の出来事』(『情熱の嵐』B面 アルバム「青春に賭けよう」収録)
・『薔薇の鎖』(アルバム「傷だらけのローラ」収録)
(ここから6月放送分の拡大版)
加美 こんばんは、加美幸伸です。さて、【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】と題しまして、デビュー初期、アーティストとして歩み始めた1970年代の西城秀樹にスポットをあててお送りします。
そこでなんですけど、今日はですね、僕一人でお送りするのも何なので、素敵な方をお迎えしました。プロデューサー佐藤剛さんです。こんにちは。
佐藤剛さん(以下 佐藤) こんにちは。
加美 よろしくお願いします。
僕、佐藤さんは、甲斐バンドのマネージャーであり、事務所の社長さんでいらっしゃって。色んなアーティストをプロデュースされているっていうイメージが凄くあるんですけど。そんな方が、なぜ、西城秀樹なのか、ということなんですけど。
佐藤 僕はもともと大学を出て、音楽のジャーナリストになりたくて(音楽の世界に)入って来て。で、色んな気に入ってるアーティストを取り上げたりしながら、ライブに行ったりしながらやっている時に、甲斐(よしひろ)さんと出会って。(甲斐バンドの)事務所からも、「優秀な、考えを色々まとめる人が欲しいので来てくれないか?」って言われたんです。それで、「じゃ、やってみたいです」って言って、マネージャーを引き受けて、解散までやったんですね。
それで、もともとマネージャーになりたかったわけでもないので、「いったん終わりだな」と思って、「今度は物書きになろうかな」とか、「小説家のエージェントやろうかな」とか。
そんなことを思っている時に、次もまたアーティストを頼まれて。
THE BOOMっていうアーティストを引き受けたら、これもまたうまく…。運がいいんです、僕。そういう意味では。いいヒット曲が出たりして。だから、(音楽)事務所をやったりもするんですけど、でもやっぱり気に入ったアーティストはいつもいるんですね。それで、その人達とは仕事はなるべくしないようにして。音楽ファンとして凄く好きだ!っていう人をいつも持っているんですよ。
加美 なるほど。
佐藤 「洋楽でいうとストーンズが圧倒的に好き」とかあるんですね。そういう流れの中で、西城さんっていうのは僕にとって、自分の好きな日本のロックのほとんどトップクラス。一方で僕は、はっぴいえんどのデビューから解散コンサートまで行っている。だけど、やっぱり西城秀樹さんっていうのは、その当時から僕にとって、一番の日本のロックスターなんです。皆さんがアイドルだと思っている頃から、僕にとって「この人は凄い人だな」っていう風に思っていたものですから…。心ひそかにずっと好きだったんです。
で、(秀樹さんが)20代の半ばくらいになって、『若き獅子たち』とか、『ブルースカイ ブルー』とか、凄く大人の歌が出て来て、「ああ、やっとこの人は本物のエンターテイナーになって、日本のロックスターになる!」と思ったら、YMCA…(苦笑)。『YOUNG MAN』が出て…。これがまた…これは大当たりすると思ったらほんとに大当たりしたんですけど、その反動って、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、日本全国の人がみんな西城秀樹を好きになる。ってなってくると…。そういう要望に応える必要があるポジションにいるわけだから。17才でデビューしてからずっとスターでしょ。
そうすると、そういう風なポジションでそれなりのことをやらなきゃいけなくなると、せっかく『ブルースカイ ブルー』でロックアーティストになって来たのに、またそこに戻っちゃったなと、可哀想だな、残念だな、と思っていたんですよ。
加美 ええ、ええ。
佐藤 それ以降は僕も何かと仕事が忙しいから、(秀樹さんが)大人っぽい風に変わっていった頃っていうのは、そんなにきちっとおさえてないんですけど…。
やはりお亡くなりになる前に、身体の調子を崩された中で、リハビリしながら頑張る姿とか、情報とか耳にしながらね、やってるのを聞いて、「やっぱこの人凄いな…」。
そんな風にずっとやっぱり好きで、憧れてて…。距離を持って観察してるというか見てるというか、そういうアーティストだったんですよ、自分にとって。
加美 ええ。
佐藤 そういう意味で……、亡くなった後に、遺された音源を改めて色んなものを聴いてみたんですね。
そして今回、ライブアルバムとかオリジナルアルバムとか、様々な音源が二年間にわたって復刻されるってことで、もう、すっごい喜んでるんです!その中から知られざる名曲とか、色んなものがたくさん世の中に知れていくことによって、西城秀樹というアーティストの本当の素晴らしさっていうのを、わかってくれる人が日本にとってもたくさんいるんじゃないか。
今までは、ある時代を過ごした人達が一生懸命応援して来ましたし、今も凄いんですよ。秀樹さんのファンの人達。そういった人達の力を借りながら…。僕も色々教えてもらったりしながら。やっぱりファンの人達が一番よく知っているのでね。僕の知らないようなことも教えていただきながら発見できたこととか、そういったものを、もう少し、広く、普通の音楽ファンの人にももっと知らせていきたい。今の20代、30代の若いアーティストの人にも。
西城秀樹っていう人は、『YOUNG MAN』だけの人じゃなくて、日本のトップエンターティナーで、なおかつロックっていうジャンルでくくってもトップなんだよね。
加美 秀樹さんって、(当時は)僕ら少年だったんですけど、僕らが少年の頃っていうのは、例えば長いマフラーを巻くとか、あるいは『ブーツをぬいで朝食を』なんていうのは、ライター持つとか…。少年達にとっては、大人からしたらちょっと危機だ、「ヒデキ、子どもたちが触れん方がいいぞ」っていうような、アイドルの中でもそういった象徴であったんだけど。
『YOUNG MAN』によって、「ヒデキええやん!」
佐藤 (笑)
加美 家族で受け止めるっていうか、そういうアーティストになって。正直言って僕は、〝みんなが知ってるヒデキ〟っていうのは嬉しいけど、〝僕のヒデキ〟じゃなくなったっていうか…、ちょっと寂しさがあったんですよね。
佐藤 うん。そうですよね。それはね、僕も…、ちょうど僕がマネジメントやってた甲斐バンドが、初めてヒット曲を出したのが『HERO ヒーローになる時、それは今』だったんですね。
加美 大ヒット!
佐藤 ええ。これがヒットチャートのトップになって。初めて僕は、ヒット曲のスタッフとして関わって喜んだのもつかの間、あっという間に『YOUNG MAN』に追い抜かれたんですよ。*1
加美 あぁー、そうだそうだ!
佐藤 でもね、その時に同じようなことを思ったんですよ。秀樹さん、国民的スターになってしまったら、アーティストとしての自由はどうしても奪われますよね。時間の問題とか、どこ行っても必ずこの歌を歌って欲しいと言われるに決まってますもん。
となってくると、今までみたいにコンサートだからといって、KingCrimsonをやるとか、QUEENやるとか、中島みゆきをすぐにカバーするとか…。
加美 ええ、ええ。
佐藤 そういう思い切ったことはもうできないんじゃないかなと思いました。だから、良し悪しでね…。非常に複雑な思いを感じながら、でも見守っている、という立場でいたんです。
加美 そんな中でも秀樹さんっていうのは、音楽人、いわゆるミュージシャン達、「ヒデキいいよね!」っていう人達が多分周りにいたからだと思うんだけど、色んなところから色んな音楽に触れるチャンスがあって。
今日紹介するのは、【西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】ということなんですけど。この、今でいうシティポップ。ここにも秀樹さんは実は手を入れていたっていうところ。
佐藤 そうなんです。真っ先に。
都会的で、なんていうのかな…、歌謡曲の匂いがまったくしない、かといって洋楽のカバーとかっていうものでもなくて。なんかね、〝オリジナリティのある日本の新しいポピュラーソング〟っていうのがシティポップスだとすれば、一番最初にそのあたりを発見して、なおかつ自分のレパートリーに入れるっていう。
(秀樹さんは)そういう…、音楽を受け止めて、発見して、自分に合うのが何か?っていうのを判断する力が凄いんですね。これってアメリカでいうとね、Elvis Presleyです。*2
加美 はぁー…!
佐藤 プレスリーは自分では詞を書いたり曲書いたりしませんけど、色んなものを聴かされたら、その中で「これはいい、も一回聴かせて」って、二度聴いたらもう歌えるんですよ。
一番最初の頃は、そうやってアルバムを作っていたらしい。だから、バンドだったんですね、エルヴィスって。Scotty Mooreとか、ギターとかみんな固定メンバーがいて、ブレイクする前は4人くらいでやっていたんです。(エルヴィスは)バンドマンだったんですよ。
秀樹さんもお兄さんと一緒にバンドを始めたのが小学校。
加美 4年生ぐらいですね。
佐藤 ね。で、ベースを弾いて、次にドラムをやったらドラムにハマった。
だからね、そういう意味では秀樹さんもバンドマン。バンドマン出身で、歌謡曲の世界にスカウトされてアイドルとして出たけども、どんどんどんどんアイドルではなくて、バンドマン的な匂いと、アーティストとしての成長みたいなのがあってね。だから不思議な伸び方をして…。
日本の…、とにかく、今までの音楽の歴史の中で、誰もいなかったようなポジションで、自分の力でそれを切り拓いて、カバーとかそういう形で自分の世界をどんどんどんどん学ぶっていうのかな…。勉強しながら、自分のものにしながら成長して。
一方では、与えられたヒット曲っていうのをきちっとアクションをつけて歌う。それを両方でずーっとやってた人なんでね。本当に感心するんですよ。
加美 いやあ…、本当にそう…。
僕、実は秀樹さんにお会いしてお話をお伺いした時に、僕があまりに洋楽へのアプローチということを色々質問するので、最後にぼそっと秀樹さんは、「まあ僕、基本的にバンドマンだから」っておっしゃったんですよ。
佐藤 あっ、なるほど。
加美 その一言で痺れちゃって!「そうだよな!そうですね!」って僕も言っちゃったんですけど。(秀樹さんが)ニヤッと笑われたのが非常に印象的だったんですよ。
佐藤 ああ!
加美 そういった感覚で音楽を捉えていらっしゃった。もちろん選曲する際もそうだし、ステージの上でのアクションも、あくまで自分はバンドのセンターでフロントで歌っている。そういったものを意識されていたんだな、っていうことを感じ取りますね。
佐藤 僕もそういう意味では、バンドのプロデュースとかマネージメントから入っている。ほとんどずっとバンドしかやっていないんです。還暦になる頃から、由紀さおりさんを頼まれたりとか、海外のことも色々やりたかったんで、でもそういうものも含めて、ずっと僕もバンド専門みたいにして生きてきたから、共通するものがあるんです。
加美 (秀樹さんが)バンドマンであるっていうところに、佐藤さんは響いたというか感じたっていうところもありますよね。
佐藤 そうです。ソロで歌ってても、おっしゃる通り、バンドマン的な立ち振る舞いと、本当にバックにいるような。それがね、本当に藤丸バンド…。
加美 芳野藤丸バンドね!
佐藤 うん。藤丸バンドと組んでやるようなことになって。
それが凄くバンドっぽく見えたんですね。同じ頃に沢田研二さんは大野克夫さんと井上(堯之)さんとやってるじゃないですか。でもそれよりも秀樹さんの方が、バンドマンとしてバンドを楽しんでいる、みたいな風に見えていたんですよね。
加美 なるほどなぁー…。
その芳野藤丸さんとの出会いからではないだろうか、ということで、今日この後、梅垣達志さんお迎えして、まさにシティポップの部分をたっぷりお話をお伺いしようということになっています。ぜひ、皆さんも楽しみにしていただきたいと思います。
そして、2021年3月にデビュー50周年イヤーに突入しました西城秀樹さんですが、4月にファンに嬉しいニュースが発表されました。西城秀樹デビュー50周年記念、待望のオリジナルアルバム全作品復刻。そしてライブカバーアルバムを含む全ての作品が、これから2年間にわたり発売されていくことになりました。
その記念すべき復刻シリーズの第一弾5作品が、6月18日金曜日に発売されます。今回は「ワイルドな17才」「青春に賭けよう」「エキサイティング秀樹」「傷だらけのローラ」「恋の暴走/この愛のときめき~エキサイティングヒデキvol.5~」といった1972年にリリースされましたファーストアルバムから、5作品までのオリジナルアルバムが復刻します。
これ、楽しみですね!佐藤さん。
佐藤 これはね!本当に待ち構えてました。アナログ盤で、今、手に入らないものがたくさんあったんですよね。それが全部出る!しかもGO HOTODAさんのマスタリングで出るんで、もう本当にワクワクする企画!
加美 非常にGO HOTODAさんが立体的に作り上げてくださっているのではないか。
僕ね、特にライブ盤だったり、レコードっていうものは、大切に聴きながら、どんどん想像した世代、イマジネーションを作っていった世代なんで、立体的に楽しめるんだと思って!凄く楽しみです。
ということで来週から二年間、西城秀樹さんの作品にたっぷり浸ることができると思います。
【GREAT STORY‐不滅のスタァ‐ 西城秀樹が愛した知られざるCITY POP】お楽しみください。
1978年6月25日にリリースされたライブアルバム「バレンタインコンサート・スペシャル 西城秀樹 愛を歌う」より『カタログ』。
*1:『HERO ヒーローになる時、それは今』甲斐バンド11枚目シングル、1978年12月20日発売。1979年2月オリコンチャート1位。
『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』西城秀樹28作目シングル。1979年2月21日発売。同年3月12日付オリコンチャート1位。
*2: WHAT's IN? tokyo 佐藤剛の「会った、聴いた、 読んだ」vol.155 「エルビス・プレスリーと西城秀樹を結び付けたのは、ロックンロールという新しい音楽だった」 https://web.archive.org/web/20210329115320/https://tokyo.whatsin.jp/605601
https://web.archive.org/web/20210329115320/https://tokyo.whatsin.jp/605601