言葉ではないもので 西城秀樹 書きおこし

西城秀樹さんについて語られた言葉を記録しています。

桑田佳祐さんが語る西城秀樹さん

2023年(令和5年)2月4日(土)23時〜23時55分

TOKYO FM【桑田佳祐のやさしい夜遊び】

桑田佳祐のやさしい夜遊び - TOKYO FM 80.0MHz

 

桑田佳祐:(西城秀樹「情熱の嵐」オンエアの後)

いやあ…あの…分かんなかったんだけど、昔は。

だけど、素晴らしいボーカリストでね。

この人は何か、ロック…ロックっていうか、バンドを作っていて、僕らと一緒に同じ時期にデビューしたとしたら勝てなかっただろうし、この人に対してコンプレックスを感じたんだろうなって、今聴いてても思いますけど…。

西城秀樹さん… ♫ ハウスバーモントカレーだよ ♪って言うからね!

ええ、私、バーモントカレーでずっと育ったんですよ。

うちのおふくろ、林檎と蜂蜜、なぜかうちのおふくろ、よしゃあいいのに醤油とかウスターソースとか入れやがって、入れなくていいんだよ今思うと(笑)!

 

 

realsound.jp

2018年(平成30年)5月19日(土) TOKYO FM【桑田佳祐のやさしい夜遊び】

桑:本当に実直で、誰に対してもフランク。同い年だけど、兄貴みたいでね。ライブの楽屋で1時間くらい、初めてじっくりお話をさせていただいたんだけど、打ち解けられるように気配りして話してくださって。大好きで、またいつかご一緒したかった。日本の音楽界を大きく作り変えた方だと思う。本当にありがとうございました。

 

 

1995年(平成7年)8月5日・8月6日

サザンオールスターズ「スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カルフォルニア」DVD裏面。

西城秀樹さんはコンサートのオープニングアクトに覆面で登場。8万人のサザンファンの前で「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を歌いました。

 

桑田佳祐さん、西城秀樹さんを語って下さってありがとうございました。

 

 

 

【ありがとよ!】

(「のどもと過ぎれば…  西城秀樹」産経新聞東京版夕刊1995年(平成5年)8月19日 一部抜粋)

八月五日、午後七時。ギンギラの星条旗ファッションでステージに立ったぼくは、観客の前で『ヤングマン』を歌った。

遠くのスタンドの人も、アリーナの人も、「Y、M、C、A」の振りをしっかりやってくれていた。八万の二倍、十六万の手が波のように空の下で揺れていた。

『ヤングマン』を歌った後、客席でサザンのコンサートを楽しんだ。桑田さんも、メンバーも、ファンも本当にステキだった。

「きょうのために全国から来てくれたみんな、ありがとさん!!」。桑田さんは三時間のコンサートの間に、百回以上、「ありがとよ」を客席に向けて叫んでいた。

この「ありがとよ」は、決してサービスコメントではない。デビュー以来十七年間、応援してくれたファンへの心からの「ありがとう」だと思った。ぼくも何だか、ジーンとしてきた。

アンコールのラスト『YA YA(あの時代を忘れない)』が終わると、打ち上げ花火が次々に上がって、横浜の空を美しく染めていった。

ぼくはそのとき思わず、大阪球場のファイナルコンサート(昭和五十八年)での花火と重ねていた。心がタイムマシンのように行ったり来たりした。

もう一度、野外コンサートをやりたい!と思った夏。温かい気持ちにふれた夏。またひとつ忘れられなくなりそうな夏…。

桑田さん、「ありがとよ」!!