言葉ではないもので 西城秀樹 書きおこし

西城秀樹さんについて語られた言葉を記録しています。

思い出のメロディー「志らく&ミッツのウラトーク!」

2019年(令和元年)8月17日(土)

NHK総合テレビ 午後7時30分~午後8時50分

司会 東山紀之氏

   小野文惠アナウンサー

 

収録日 8月3日(土)NHKホールにて

 

副音声

立川志らく氏 ミッツ・マングローブ氏 対談

「志らく&ミッツのウラトーク!」

 

1978年(昭和53年)11月12日 NHK レッツゴーヤング

ブルースカイブルーの歌に重ねる形で、志らく氏とミッツ氏の語りが流されました。

 

 

立川志らく氏(以下志)

「わあ…西城秀樹」

 

ミッツ・マングローブ氏(以下ミ)

「ヒデキさんだ…」



志「もう、男の色気…。

このね…バラード、これがたまらないですよ。歌詞も相当意味深なんですよ。色々深読みもできるし。またねえ、色気あるんだこの人は…」

 

 

ミ「これがそうのよ…奇しくも最後の、ヒデキさんのお見送りの時に、これがバーっと流れて…ほんと、いろんな世代がまたこの曲にね、心打たれたっていうね…」

 

志「でも、西城秀樹っていう人は、デビューしてから…ご病気もなさったんだけど…。

多分ファンの人がみんなね…(ヒデキさんに)あまり年取ったイメージないんですよね」

 

ミ「うん。いわゆる『ヒデキ!』っていうね。カタカナで『ヒデキ!!』っていう、あの存在のままでしたからね。

やっぱりあれですよね。ヒデキさん、こうやってアクションつけて振り付けで歌って、いわゆるカラーテレビだったりとか、カメラの技術なんていうのも、より進化したって言われていますよね。それまでは割と直立不動だったり、せいぜいリズムをとるくらいだったのが」

 

志「日本の歌ってのはね、藤山一郎、東海林太郎から始まって。直立不動で歌って」

 

ミ「それこそ(美空)ひばりさんが、真っ赤な太陽でちょっとリズム刻んだくらい大騒ぎになったくらいですもんね」

 

志「女性では、笠置シヅ子さんですよね、あとお恵ちゃん、松山恵子。でも男性は比較的やっぱり動かない」

 

ミ「動かないっていうのがあった…。が、このもう…アクションですよね?振り付け・アクションっていうのを歌の世界に取り入れて、より歌がテレビ的になっていったってことですよね」

 

志「見(魅)せる歌」

 

ミ「うん、見せる歌」

 

志「私なんか子どもの頃は、見せる歌っていう感じがしてたんだけど、ある程度歳取ってくると聴かせる歌なんですよね」

 

ミ「ヒデキさんは…そうですよ」

 

志「それはね、いろんな歌を聞いて来て、後で気がつくんです。

抜群に歌が上手いっていうのがあるんだけど。子どもの頃はね、派手に歌って、ヤングマンなんかもそうだけども、飛び跳ねてっていうね。元気があってって、かっこいいなあ〜!だったんだけど…よくよく聴いてみると…」

 

ミ「…ね」

 

志「…バラードなんですよね」

 

ミ「ボーカリストですよね」

 

しばし聞き入る

 

ミ「いわゆるオーバーアクションと言われるようなこの…青空の時にはくっ!と手を上にあげるとか…色々と、アメリカとかに行ってすごい勉強されて、日本に取り入れたって話ですものね」

 

志「藤山一郎が、『楽しい歌を歌う時は思いっきり楽しく歌う、悲しい歌を歌う時は大人しく歌う。これが大人の歌い方です』と。

ものすごく楽しく……元気よく歌うってのは、ほんとに歌の基本に入っているんですよね」

 

 

志らくさん、ミッツさん、秀樹さんを語って下さってありがとうございました。

 

 

 

このブルースカイブルーの歌唱映像は

「HIDEKI NHK Collection 
西城秀樹~若さと情熱と感激と~」

のdisk1 24に収録されています。

特設サイト

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2019年9月12日